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2007.10.07 趙致考
ちょっと昔話っぽくなってしまうのですが・・・


私がハンドボールを始めたのはソウル五輪の翌年1989年。
(小学6年の時にもやっていましたが・・・興味のある物好きな方(笑)はこちらから、もしくは「むかしばなし」からどうぞ)

当時の日本代表はソウル代表を中心にしたチーム構成でした。
具体的には、首藤信一選手(現大崎電気監督)や田口隆選手(元日本代表監督)、橋本行弘選手、玉村健二選手などなど・・・。


初めて日本代表の試合を見たのが1989年に来日したデンマーク代表との親善試合。
滋賀県で行われた試合はテレビ中継され、日本代表が初めてデンマーク代表に勝つという歴史的な試合となりました。


それから2年後・・・1991年。

広島で行われたアジア選手権は、バルセロナ五輪の予選を兼ねた大会となりました。


私が初めて見た日本代表からメンバーは一部入れ替わり、当時大学生だった中山剛選手(現湧永製薬監督)や堀田敬章選手(現北國銀行コーチ)等が加わっていました。


当時は中東の笛などない真剣勝負(サラッと書きますが、これが当たり前。今の状況が異常なだけですよね)。

日本代表は順調に勝ちあがり、準決勝で中国を破って決勝に進みました。


対戦相手は当然『韓国』。

ソウル五輪で銀メダルを獲得していた韓国代表・・・その絶対的エースが姜在源(元大同特殊鋼監督)。
彼を中心としたチームである事は変わっていないものの、新たな大学生選手達が決勝の舞台で日本代表の前に立ち塞がりました。


林珍錫(元大同特殊鋼)、趙範衍(現大同特殊鋼兼任コーチ)、そして趙致考(現バリンゲン・・・ドイツ)です。


常日頃ここに書いている事ですが、私は本当に左腕選手が大好きです。

当時も姜在源のプレーは敵である事を抜きにして、本当に憧れました。

そして、アジア選手権の決勝で日本と対戦した韓国には、2人の趙が居たのです。

前半は趙致考が今と変わらない豪快なミドルを連発、サイドからも得点を取っていました。

そして後半は趙範衍がするどいフェイントで日本ディフェンスをキリキリ舞いに。。。


圧倒的と言って良い程の強さを見せつけ、バルセロナ五輪への切符をもぎ取っていきました。

姜在源、そして2人の趙。
当時高校3年生だった私に、強烈なインパクトを与えてくれた選手達です。。。



あれから16年・・・五輪切符を争う日本の地に、再び韓国代表として趙致考はやってきました。

今年初めに行われた世界選手権で代表復帰を果たすと、エース尹京信の成績を上回る活躍を見せ、ドイツブンデスリーガのバリンゲンへ電撃移籍を果たした事を知っていたので、今予選では尹とともに必ず代表に加わるだろうと思っていましたが、本当に当時と変わらない強烈なプレーを見せてくれました。


その趙致考・・・どうやら怪我(予選中?)をしていたようで、予選終了後はブンデスリーガの試合を欠場していましたが・・・

第6節のグンメルスバッハ戦で復帰を果たすと、いきなり7得点。
第7節は4得点。

そして第8節では8得点を挙げて、チームの勝利に大きく貢献しています。


1970年生まれの36歳(もうすぐ37歳・・・かな?)。

まだ衰えをしらない左腕のプレーを自分は一ファンとして、これからいつまでも見続けていたいと思っています。。。




ジャーマン今日の晩飯は男の料理。
って、ジャガイモとベーコンをバターで炒めて塩コショウしただけですが(苦笑)。
簡単ジャーマンポテトっす。
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